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<春夏秋冬>

発行日2005/10/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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夏の終りに
 
 「何でこんな事ができるのだろう?」4年前、敗血症性ショックから多臓器不全で死を彷徨い、意識を出せないでいた頃も含めて2ヶ月以上の寝たきり状態から数日をかけてやっと車椅子に乗ったと言うより乗せられた時、AFでかろうじて踏み止まってくれていた心臓が血圧を維持しようとして力なく必死に動くものだから、めまいがするやら冷や汗は出るやら、さらには胸が苦しくなって、もう駄目だとばかりにベッドヘ戻ろうとするのを無理やりと言うか励まされて恐る恐る病室から廊下に出た時、入院中と思しきお婆さんが白い運動靴を履いて、目の前をスタスタと二本足歩行して行ったのだ。食器をかたづけに来ただけのお婆さんが何かもの凄い事をしている様に見えて思わず呟いた。
 その夜、夕闇の秋田大学手形グランドのコーナーを痩せ細った自分が快調に走り抜けて行く夢を見た。寝ぼけながら、「歩けないけど走れるのだ」と思ったが、翌朝、一人では立つ事も出来ない現実に、しばらく激しく落ち込んだ。
 初めて400mトラックの陸上競技場を走ったのは、高校時代の新人戦だった。大都市を除けば当時はどこも同じ状況だったろうが、私の故郷三重県では公認の陸上競技場はたった一ヶ所で、正式な競技会以外で400mトラックを走る事など考えられない時代だった。浪人を経て秋田大学に入学後まもなく陸上部に入部して初めて手形グランドで練習をした時、よそ行きの格好で走ってみたら以外に軽くスピードに乗ってコーナーを走り抜けた。あの感激は今でも忘れられない。
 奇跡的に一命をとりとめて退院し、更に社会復帰を果たしてまもなく体力回復を目的にWalkingを始めたが、時々何となく手形グランドまで出かけた。そこで、以前に走っていて知り合った人と出会う度、いろいろな言葉で励まされた。大病をして初めて人から励まされる有難さが分かった。100mをゆっくり走ることから始めて徐々に距離を延ばして1年後、快調とは程遠いが、ついにあの夢で見たコーナーをゆっくりと走り抜けることが出来た。自分を鍛える場と思っていた手形グランドは勇気をも与えてくれていたのだ。
 40歳の頃から夏とのお別れを手形グランドで気付く様になった。日が短くなり夕暮れが早くなったグランドの地面の上を、時々フィールドの草々を揺らしながら夏は北から南へと転がる様に去って行く。その頃から自分自身の夏の終りを感じ始めていたのだろうか。
 少しだけ体力に余裕が出来た今年は真っ黒に日焼けして、見かけだけはすっかり以前に戻ったが、現実は病気前のスロージョックが精一杯である。
 季節は必ず収穫の秋に向かう様に、自分自身の季節も確実に夏から秋へ移って行った。夕闇の中、手形グランドは35年間変わらぬ姿で秋を迎えている。
 
 春夏秋冬 <夏の終りに> から