最近、リビングのテーブルに花を飾るようになった。殺風景だったリビングが一気に華やかに変わる。少しでも長く元気でいてもらうため、花瓶の水を変える、という起床直後のルーティンが一つ加わった。だが冷房が入っていても、夏の暑さのため数日で花は緩やかに萎れていく。その速さは種類によって異なり、2~3日であっという間に花を散らしてしまうものもあれば、満開の状態で10日以上元気でいてくれる花も。昭和の詩人・作家である林芙美子が好んで色紙にしたためていた「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」が前者だとすれば、後者はどこかの生命保険会社の懐かしいCM「花の命は結構長い」といったところか。社会の成熟とともに、女性がより自分らしく生きられる時代になっている、と花達が教えてくれる。いやまてよ、令和の今、女性はもう「花」ではなく「太陽」である。平塚らいてう先生が『青鞜』に寄せた文の表題、その思いが100余年を経て、今やっと現実のものになろうとしている、と確信。約数百年にわたる優勝劣敗、支配と従属、理性、前例踏襲の男性性優位の時代は終わり、受容、包容、調和、感性、革新の女性性優位の時代が来たのだ、と。価値観・社会制度・慣習・情報システム?あらゆるものが風のように軽やかに素早くその姿を変えていく。好む好まざるにかかわらず、人類はそういう世界を生きていくことになる。では、私はこれからどう生きようか? 閑話休題。脳内が暴走しまくっている、現実に戻らねば。 外の景色を眺めると、猫の額ほどの庭には、亡き義母が生前植えた長ネギが野生化し、横でこれに負けずに野生化した紫蘇が生い茂っている。駐車・駐輪スペースや義母が好んで植えていたプランターが置かれているスペースは、あえて全く手を加えず(加えられず、と言った方が正確か)、自然の力にゆだねてみた。結果、名も知らぬ野草たちが大繁殖!プランターに居ついたそれは、他のお仲間よりも栄養状態がよろしくて大きくなり、葉っぱもつやつやしており鑑賞に堪えうるほどの出来栄え。半ば野草ガーデンの様相。雑草として抜こうとも考えたものの「世の中に雑草という草はない」(by牧野富太郎)し、伸び伸びとその命を謳歌している草たちの命を私の手で終わらせるのは、忍びない。かくしてこの夏、日中に傍から見たわが家は、主なき家のごとき野性味あふれる状態を維持し続けているのであった。
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