掲載は2月号ですが、この駄文をしたためている今は1月15日。秋田市医師会員の皆さま、今年もよろしくお願い致します。さて令和も5年となり、新しい御代の元号としてしっかり根付いたように思われます。西暦も便利ですが、元号の方が時間の距離感や時代の雰囲気を感じやすいのではないでしょうか。 ちなみに元号は西暦645年の大化に始まったわけですが、調べると令和で248番目になります。そのうち「和」の字がつくのが、和銅、承和、仁和、応和、安和、寛和、長和、康和、養和、正和、弘和、貞和、文和、永和、元和、天和、享和、昭和、令和の19個で、さすが「和」の国というべきか、いろいろに「和」が望まれてきたのかと思います。 私の少年から青年時代の風物は昭和レトロと呼ばれていますが、もはや今では平成レトロという言葉もあるそうです。きっと昔の人も元号で「○○時代の人の頭は古い」とか言っていたのかも知れないですね。元号は日本人にとって自分や周囲の人の生きてきた時間を愛着をもって区切り表現できるツールなのだと思います。 私が物心ついた昭和40年頃は高度経済成長の真只中だったはずですが、育った秋田市郊外にはまだまだ戦後間もない頃の風景が残っていました。東京オリンピックを終え、アポロ11号が月面に着陸し、我が家の白黒テレビがカラーになり、「こんにちは~こんにちは~」という三波春夫の歌声が耳に付いた大阪万博。笠谷幸生ら日の丸飛行隊が活躍した札幌オリンピックはトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」とともに思い出されます。自分が幼かったせいもあるでしょうが、この時代は前へ前へという感じで、社会全体に明るいムードがあったように思います。いっぽうで、泥沼のベトナム戦争、学生運動、連合赤軍による浅間山荘事件、そして第一次オイルショックのトイレットペーパー買い占めなど、騒然とした一面もありました。長嶋茂雄の巨人引退、キャンディーズ解散と時代は過ぎ去り、就職したころはバブル景気最盛期で周りが何かと派手でした。 そして平成となりバブル崩壊。もともと不動産投資などしていなかった私にはダメージはありませんが、以来30年間、年収はほとんど増えていません。ただ、平成の時代はポリティカル・コレクトネスに代表されるように社会が平等や配慮を整え、浮かれ急いでいた状態から落ち着きを取り戻した面もあるかと思います。 日本人は明治大正昭和と大変革を経験しました。平成はその字の如く平らかに成ったという印象がありますが、今日の日本や世界の状況を見ると令和にはまた大きな時代のうねりが訪れそうです。私たちはいつも時代の文化のもとに生きています。いつの日か振り返ったとき、「あの懐かしい令和の日々」と思い出したいものです。
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