この10月号が発行されるころには一段落しているであろうか、いやいや、秋田県はまだまだ盛り上がっているはず、そう「金足農業」フィーバーである。(以下金農とさせていただく) 今年ほど夏の高校野球を一生懸命に観戦した年はなかった。第100回を迎えた全国高校野球選手権大会、秋田県予選の始球式を務めたのは第一回大会で準優勝した秋田中の一塁手をやられた方のお孫さん、彼は私の高校生の時の同級生である。 そんなことがあり、また、母校が予選でかなりの活躍を見せた。地区大会から例年になく、仕事のすきを突いてテレビ観戦をするなどして大会の動向を注視していた。残念ながら母校は敗退し、秋田県代表は金農に決まった。そして、甲子園でのその後の活躍はもはや語る言葉もないくらいに言い尽くされたがごどくであり、一種の社会現象まで巻き起こしてしまうほどだったわけである。 思えば金農が秋田県代表に決まった後に、甲子園での抱負は?と問われたとき彼らは「全国制覇です」と明確に答えていた。ここ数年は全国大会では低迷にあえいでいた高校野球の秋田県代表チームだが、これほど力強く優勝を目指します、と聞いたのは久しぶり、いや初めての感があった。高いモチベーションで積み重ねてきた過酷な練習と鍛錬に裏打ちされている力強い自信を感じた。 金農の活躍は海外のメディアでも「Miracle」「Crazy」などと称されたというが、今大会での勝ち上がりは決して奇跡や偶然などではないだろう。 吉田投手の快投は勿論だが、それを支える完璧な守備、ツーランスクイズすら実現した緻密なバント戦法、土壇場での逆転ホームランを可能にする揺るぎない打力と胆力、全てに渡り、厳密、周到に準備されてきたものなのだろう。勝利後のインタビューでも、選手たちは決して浮かれることなく淡々と試合を振り返り、次への備えを語っていた。そんなところにも、並々ならぬ自信がにじみ出ていた様に思う。 準決勝に進出し、PL学園に惜敗した1984年以来、金農が代表になると、「ひょっとしたら何かやってくれるかもしれないぞ」という漠然とした期待を抱いてしまう県民は決して私だけではあるまい。そして今年はついにそれが現実のものになったのだ。すでに食傷気味かもしれないが、金農の活躍に感謝をこめて本稿に書かずにはいられなかったことをお許し頂きたい。 ちなみにこの1984年度、高校ラグビーでは秋田工業高校が花園で全国制覇、バスケットボールの全国選抜大会でも能代工業高校が優勝を飾った素晴らしい年だった。秋田県民を元気にしてくれる若者たちの活躍、まだまだ注目である。
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