韓国のピョンチャンで行われていた冬季オリンピックが盛会裡に閉幕した。日本選手団は過去最高の13個のメダルを獲得、中でも4個の金メダルの獲得の瞬間の熱狂は今も記憶に新しい。 そんな中、自分自身も人生史上初めての「ゴールド」を手にした。自動車の「ゴールド免許」である。 自動車免許を取得したのは昭和58年5月26日、日本海中部地震の当日である。大学に入学して間も無い頃で、講義をさぼって学科試験に出かけた。午前中の試験に無事パスし、後は昼食後に免許証をもらうだけ、という段になり、震度5強の揺れが襲った。停電のため免許の交付は不可能となり、後日改めて発行されることになった。以来35年間、幸い人身にかかわるような事故の経験はないが、平成6年から導入されたゴールド免許には縁がなく、今回が初めてである。そこで、今までの自分の交通違反歴を振り返ってみると、そのシチュエーションはいずれも「有頂天な時」に気が緩み、「冷や水をかけられるような」状況であったことがわかった。 最初の違反は学生の時。実習で外部の施設にグループの皆で朝から赴いた。予定より大分早い時間に終了し、帰り道のドライブは、なんだか得したような楽しい気分で、春先の天気の良い日で気持ちよかった。その瞬間のスピード違反での検挙だった。当時から取り締まりが多いことは知っていた秋田港近くの県道で、完全に気が緩んでいた。 次に思い起こされるのは、学会で九州に行くために平日の午前の勤務を終えてから空港に向かった時のこと。同行した同僚と「空港に着いたらすぐビール飲もう!」などと盛り上がりまくっていたその時の検挙で、勤務先の病院から出発してわずか一分足らずでの出来事だった。この時には一発で免許停止処分になった。もうグズグズに気が緩んでいた。 その他にも、念願の新居への引っ越しの日に、家内からの「洗剤買ってきて」という連絡にケイタイで出た瞬間を警官に目撃された「ながら運転」の違反、家族との旅行先での2件のスピード違反(うち一つはカリフォルニアのハイウェイでのもので、このときは警官に拳銃を突きつけられて本当に恐ろしかった・・・)などである。いずれもどちらかといえば「非日常」なハイな気分の状況でやってしまっていた。重大事故につながらず、幸いであった。 オリンピックで金メダルの栄誉に輝いた選手たち、これからも慢心することなく更なる高みを目指すことだろう。彼らに比べると私のゴールド免許など取るに足らないが、これからも気を引き締めていかなければと思う。
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