トップ会長挨拶医師会事業計画活動内容医師会報地域包括ケア介護保険について月間行事予定医療を考える集い学校保健関連

<春夏秋冬>

発行日2013/05/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
リストに戻る
与次郎稲荷
 
雪も融けていよいよ春到来、と言っても秋田の春は遅い。この頃に私はクロスカントリー練習として夜、よく千秋公園へ走りに行く。4月初めの千秋公園の桜はまだ蕾で提灯などもなく、当然の如く夜は暗くて北風が吹きぬけている。普通なら誰もいないはずなのだが、昨年、この寒い夜に20人以上の男女が本丸の街灯を囲んで大宴会をやっていた。チラチラと見てみると顔はよく見えないがかなりの盛り上がり様である。「一気、一気」「あははは~」・・・・。「この寒いのにようやるなあ」本丸を抜けて下ってからも「もう一杯、もう一杯、ぎゃはは~」と北風にのって聞こえて来た。何故かこの光景が気になって仕方がなく、時々思い出していたらかなり前にも同じ様な光景を見たような記憶が蘇った。
昨年(平成24年)7月22日に千秋公園を主会場にして、与次郎駅伝なるものが企画された。雄和陸上競技場改修を名目にして県民マラソンを中止し、ついには全県駅伝まで中止にしてきた行政にしては、町興しとしてユニークなイベントを企画したものである。その冠した「与次郎」が気になり、調べてみた。現在の千秋公園は、国替えとなった佐竹義宣公が築いた久保田城址で、その前身は神明山という荒地である。そこに住んでいた狐の頭で齢300歳の大きな狐が与次郎という名前であった。築城後も住む場所を与えたため、恩返しに秋田から江戸をわずか6日で往復する飛脚として大いに働いたらしい。しかし仕事を失くした飛脚達の恨みを買い与次郎は山形県で罠にはまって殺されてしまった。哀れに思った義宣公は祠を作ってその霊を祭ったのが、現在の本丸に移された与次郎稲荷である。
走り尽くしている千秋公園で、知らない所は無いはずだったが、与次郎稲荷は知らなかった。早速、翌日の夜に調べに走ったら、本丸でいつも何気なく目にはするが、一度もくぐったことのない赤い鳥居の群の先が与次郎稲荷だった。
ここは元々荒れ果てた神明山で、多くの狐たちが住んでいたことだろう。
そもそも稲荷神社とは稲荷神を祭る神社のことで、狐は古来より神聖視されていて、いつの頃からか狐は稲荷神の使いとして祀られるようになったようだ。
狐が飛脚になることなどあり得ないことだが、この様に与次郎が祀られたのは、何か大きな出来事が起きたのか、神明山に住んだ狐たちを素朴に慈しんだのかは分からない所である。
そこで4月初めの寒い、あの季節はずれの飲み会を思い出した。実は彼らは近隣の狐達で、人様に迷惑を掛けないように年に一度少し時期を早めて花見の宴会を催していたのではないかと、思えて来た。そんなことなどあるはずもないが、もしかしてとその様に考えると何か筋が通るように思えるのは、化かされているためだろうか。
 
 春夏秋冬 <与次郎稲荷> から