「会報、読んでますよ!」と声をかけられます。有難うございます。「秋田医報に掲載された『まるごと秋田市』よかったですよ!」こんな声に支えられて編集の仕事を続けてくることが出来ました。「先生は文章を書くのがお好きでしょう!」いえいえ決してそんなことはないのです。「先生は原稿を軽~く、さっさっと書いちゃうんでしょうね!」つたなく軽々しい文章ではありますがさっさっと書けちゃっている訳ではないのです。子供3人、比較的安産で悩むことなく産んだ私ではありますが、こと文章に関しては無い知恵を絞り、かなり古ぼけた頭脳コンピューターをオーバーヒートさせながらひねり出しているのです。 以前先輩の女医さんから「うちの小5の息子がちっとも勉強しないでだらだらしているから『たまには勉強したら』といったら『お母さん、白鳥はね、あんなに優雅に湖面を漂っているけれどあの下では何千回、何万回と足を動かしているんだよ。僕だってそうなんだ』っていうのよ」と聞かされたことがあります。ご立派なお坊ちゃんです。私はそれとはちょっとレベルが違いますが結構苦しみながら原稿を書いています。因みに我が息子は同じ小5の時、驚愕の低点数のテストを、にこにこして私に差し出すので「おかあさん、こんな点数をとったらそんなににこにこしていられないけどな」といったら「おかあさん、顔で笑って心で泣いてだよ」とのたまいました。先輩女医の息子さんは国立大学の医学部に推薦で合格しました。我が息子は今も顔で笑って心で泣いているような…。 十四年前、福島会長が会報担当理事となった折、会報編集員への就任を依頼されたのが私と会報編集との付き合いの始まりです。その頃、福島先生と私は同じ医師会楢山2班に所属し、先生は班長を務めておいででした。班の新年会に出席した時、先生は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で私を見るのです。差し出された出欠を知らせる私からの葉書には欠席にしっかりと○が付いていました。私は出席にしっかり○をつけたつもりだったのですが…。私は一事が万事そうなのです。大層堂々と失敗を犯して皆さんにご迷惑をお掛けしてしまうのです。そして、やはりそこは親子、血は争えません。私も顔で笑って心で泣いての毎日です。そんなこんなで、福島先生には申し訳ない気持がいっぱいでしたから編集員を受けさせて頂きました。きみまろではありませんが「あれから14年」、お笑い芸人よろしく半年に一度回ってくる春夏秋冬の原稿のためにネタ探しの日々でした。そして、この卒業の季節3月、今回の春夏秋冬が私の卒業の一文となりました。眼科医でありながら、皆様のお目汚しの文章を書き連ねて参りましたこと、心よりお詫び申しあげまして私の蛍の光とさせて頂きます。
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