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<春夏秋冬>

発行日2008/02/10
秋田県成人病医療センター  阿部 芳久
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偶然、そして国体のこと
 
 日々、偶然の積み重ねの中で生きているようなものだが、それにしても偶然とはあるものだと改めて感じることにも出くわすものだ。
 昨年の国体、雄和の陸上競技場でのこと。晴天続きの会期中にあって、陸上競技種目が始まったあたりで雨になった。競技場外にある飲食用の巨大なテントの中、遅いお昼にダマコ鍋で暖をとっていた時、横から聞き覚えのある声がする。見覚えのある大きな体。学生時代に同じ部屋で寮生活を送った、今は福井に住む同級生であった。前回会ったのは秋田で開かれたインターハイの時だったから、20年以上も前のことになる。夜は秋田料理屋から我が家に場所を移して昔話は尽きなかった。出身校は当時医学部と体育学部しかなく、1年生男子は1年間の寮生活を義務づけられていて、4人の体育学部生と寝起きをともにした。入学式の二日前に入寮式があり、秋田から向かった寮の受付で、名前がありませんと言われて身動きできなくなったことを思い出す。上級生が何人か集まり責任者まで来てくれたのだが、何度調べても見当たらないという。大人数でもない名簿である。実家で入学金を払わなかったのでは、さては寄付金を値切ったな、などと考えながら立ちすくんでいたのだ。両親は満面の笑みで送り出してくれたはずなのだが。そのうち一人がぽつんと一言。「あんた、医学部?」みんなで体育学部の名簿を探していたらしい。髪は中途半端に長くてオールバック、無精ひげは伸び放題、さらに肩には竹刀と防具。医学部と思う方がおかしいような格好であったことは確かである。以来、我々の部屋は体育部屋と呼ばれるようになっていた。
 思えば昨年は幸せな年だった。メディカルアドバイザーとして国体の強化選手たちと触れあうようになってかなりの年数になる。5年前からは帯同もしてきた。実際に経験できる地元国体は多くて2回であろう。天皇杯、皇后杯を獲得した年にここにいて、しかも何らかの形で携われたこと、これもひとつの偶然といえる。国体は勝利に向けた一大プロジェクトであった。選手はもちろんのこと、開催決定までの労苦、その後の一筋縄ではいかない強化対策などを思う時、関係者の情熱と気迫には改めて感動を覚える。
 少年の部の獲得点の高さをみてほしい。ふる里選手や助っ人がいても勝つことは難しい。総合優勝は、秋田の中学・高校生の力が十分に発揮できた結果であり、この生徒たちが明日への架け橋になるのだ。今年も国体は巡ってくる。全国から集まる選手団、それを迎える地元の人々との交流など、スポーツに纏わる感動はつきない。そしてその土地での触れあいが一生のものとなる。30年以上も前に出場できた茨城国体、お世話になった民宿先の家の間取りまでをも、今もはっきりと思い出せるのだ。

 
 春夏秋冬 <偶然、そして国体のこと> から