「人は死に瀕すると、緑を欲しがるものなんだよ」 20年以上前、ターミナルケア(今で言う緩和ケア)の大先輩から言われた言葉である。 同じ頃、40才位の婦人科系末期癌患者の痙痛管理を依頼され、硬膜外カテーテルを留置して微量モルヒネを注入した。痛みが嘘の様に消失して「久しぶりに熟睡出来た」と、翌朝の回診で感謝された。と同時に次に訪れる痛みの不安を訴えられたので、当時発売されたばかりのPCA(Paiteint Control Analgesia)ポンプの良い適応と考え、「除痛が不十分の時にはこのボタンを押せばいいんですよ。これで心配ありません」と説明して装着した。その夜、微かな音が気に障った様で、私の予想に反して不満を口にされた。「その様におっしゃるのであれば、これなら音はしませんから」と説明して、今度は考案されたばかりのバルーン式インヒューザーに取り替えた。しかし翌日、「貴方は、器具を付けられる人の気持ちが分からないのですか?」と問い詰められた。しばらくしてその方は亡くなられたが、あの時の言葉が心に残った。 6年前、小腸が多発性に穿孔して腹膜炎から敗血症、多臓器不全症候群となり、1ヶ月間生死を彷徨い、その後少なくとも3つ以上の奇跡が重なって一命を取り留めた時の事である。 死を覚悟していた頃は10箇所以上挿入されていた管も空腸婁、回腸への栄養管、IVHだけになり、自宅療養のためポートの留置が計画された。感染予防の処置と分かっていても考えるほどに寂しい手術で、痛みに弱い私には耐えられそうもなく、麻酔科の先生には申し訳なかったが全身麻酔管理にしてもらった。 術後病室に戻り、まだ麻酔が残るボーとした頭で妻の顔が見えたら何となく安心して、「もう一眠りさせて」と言ってまた眠りに入った。1時間位経ち少し薄目を開けると、また妻の顔が見えた。突然不幸に引きずり込んで、どれ程つらい思いをさせて来たのだろう。うとうとしながらそんな事を考えていると、ポートを留置した前胸部の痛みでさらに胸が苦しくなる。そんな気分も少しのまどろみで楽になり、それを2~3度繰り返した後、突然強い吐き気で完全覚醒して妻が差し出した袋に胃液を吐いた。だまって背中をさする妻に「すまん」と呟きながら鼻水と多分涙が流れた。あれは精一杯の心からの声。 患者に沢山の言葉を駆使して説明するのは、自分の気持ちを伝え切れていないからだと最近思うようになった。どんな雄弁も人を説得する手段に過ぎない。病気に苦しむ方々の心からの声を聞く姿勢を持ち続けていないと、どれだけ懸命に治療をしても気持ちが伝わらない可能性がある。 自宅療養が近づいた11月のある日、病院の廊下から見えた秋雨に煙る千秋公園は、その色を失ってあたかも水墨画の如き侘しさで、あの時の私には少しだけ痛い光景であった。
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