「え~っ、お前、ほんとに鈴木明子か~?」約30年ぶりに会った同級生の言葉です。会のあいだ中、彼はその言葉を連発していました。「そんなにおばさんになったのか?」確かに!「そんなに身体にメリハリが無くなったのか?」確かに!でも一番意外だったのは良く話すようになった事のようです。 長男が「うちの家族は結構おしゃべりだよね。」と言います。「う一ん、そうかもしれない。でもおかあさんはおしゃべりじゃないよね。」の私の反応に息子は目を丸くしてしまいました。「えっ!私っておしゃべりなの!!」 ひとりっこで今からは想像も出来ないほど虚弱だった私は、ちょっと元気がないと周りがあれやこれやと詮索してくれ、多くを自己主張する必要がありませんでした。また、無欲な性格なのか、はたまた十分に与えられていたからなのか、多くを要求する必要がありませんでした。さらに素直というか、馬鹿というか他人の意見はどれもこれもごもっともで、肯いているうちに総てが過ぎていきました。学生でいるうちは…。 しかし、医師となり患者さんと接するようになり、それが通用する筈のないことは皆さんもお分かりのとおりです。患者さんには診たら分かるだろう的な態度の方も多いのですが、問診の中に、何気ない会話の中に診断に結びつく鍵があるのです。そんな医師として過ごした30年間がすっかり私をおしゃべり女に変えてしまったのでしょうか?友人に聞くと「無口だと思っていたの?自覚が足りない。」と言います。別の友人に聞くと「ちっともおしゃべりじゃないわ。」と言います。前者は男性陣の、後者は女性陣の反応です。してみると私は女性のスタンダードといったところでしょうか。ちょっと胸を撫で下ろした次第です。 私のもっとも敬愛する友は言います。「おしゃべりとは違うわね。だって、貴女、伝えたいこと、伝えるべきことしか話していないもの。」そうそうそうなのよ。「息子よ、母はお前に伝えたいことが沢山あるの、伝えるべきことが沢山あるのよ。だからお前は、母がおしゃべりであるかのように感じるかもしれないけれど決してそうじゃないの。親の意見と茄子の花は千に一つの無駄もないっていうでしょ。そういうことなのよ。」 会報編集担当理事としてこの二年をつとめさせて頂くことになりました。6人のメンバーと共に、伝えたいこと・伝えるべきことをしっかりと伝えることの出来る会報を会員の皆様にお届けしたいと思います。そして私の何が変わったとしても意見に耳を傾ける素直な心だけはまだ子供の頃のままと自負しておりますので、会員の皆様どうぞご助言のほど宜しくお願いいたします。
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