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<ペンリレー>

発行日2022/05/10
秋田厚生医療センター  添野 武彦
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歳祝い;おめでとう?
 
 今年・正月早々に、医師会から《喜寿》と言う事で、数人の仲間と共に祝賀会を催していただいた。正確には、コロナ蔓延の影響で、昨年祝われる筈だった会員と合同での祝賀会であった。この状況下に実施して下さった医師会長はじめ執行部の方々、及び参加して下さった会員の方々に感謝したい。更に加えるならば、その後も参加者にコロナ感染が現れなかった事は、同慶至りである。
 さて、《42歳の大厄》も含めるとして歳祝いとは?と改めて考えてみると、60歳《還暦》、70歳《古希》、77歳《喜寿》、80歳《傘寿》、88歳《米寿》、90歳《卒寿・または鳩寿》、99歳《白寿》、100歳言わずと知れた《百寿》、ここからは一層判じ物となる108歳《茶寿》、私の知るところ最高齢111歳の《皇寿》などであろうか。
 最初の《42歳の大厄》は主に男性であるが、この頃は家族が出来、気力・体力とも充実し、社会的にも大いに活躍が実感される年代であるが、突然死することの多いことから言われたものであろう。経験的に言うと、この年代では脳動脈瘤破裂が多いことが原因であろうか。この厄年という概念は祝い事とは少し意味合いが違うので、年祝いからは除外して考えよう。古来、出生・死亡は家庭内に起こる現象で、それらが病院内で発生する事象となった現代と違い、家族が目にする極めて身近な重大事象であった。そこで正確な死亡率などの統計を基にしたものではないが、長生きすることの貴重さが尊ばれ、そのような人に肖ろうと考えられた行事ではないだろうか。奇妙な事に、これらのお祝いは各10年代の最後の方に来ている。60歳、70歳、80歳も、それぞれ直前の10年代の続きと考えれば納得出来る。
 還暦は確かに60歳代最初の祝いではあるが、公務員の定年が60才である事を考えると、この年齢を境に、定年後2?3年で死亡する人が多かった感じがする。現在のように検診(或いは健診)が普及していなかったこと。家屋環境が悪く寒かったこと。壮年期の暴飲暴食、栄養の偏り、喫煙など健康を殆ど顧みなかったツケを、還暦という節目を機会に精算させられている運命にあった人々を見て、自分はそれを免れたいと思ったから考えられた慶事であろうか。
 次いで《古希》だが、長生きしたという意味は当然含まれるが、他とやや異なる感じがある。《古希》の由来を紐解くと、何と古代中国の詩人・杜甫の詩に行き当たる。無類の酒好きだった杜甫は、宮廷勤務後の帰宅の道すがら、通りの居酒屋をハシゴしていたらしい。飲酒が過ぎて金欠となり、宮廷に上がる時の衣服などを質に入れ、更にツケで飲みまくっていた。ツケは溜る一方であった。それを指摘されて、人生70歳を迎えるのは古来稀だから、遠慮なく酒を飲むのに何か不都合やあろうか?否!と嘯いたという。この古来稀が強調されて《古希》という言葉が出来たようだ。言わば多くの愛飲家が居直って、呑んだくれの有名詩人の言葉に共感し出来上がった言葉であり、決して見習うべき人生訓を込めた慶事ではないようだ。
 更に年上の祝いは、未だその年齢に達していないので、何ともコメント出来ないが、いずれも各10年代の後半に設定されている。その年代まで達者で暮らしてこられたことを、祝うものと素直に解釈しよう。しかし、喜寿から傘寿までは3年、米寿から卒寿までは2年、白寿から百寿までは1年と、祝う懸隔が短くなっている。当然のことだが、それだけ死亡する 人が多く増えるから、逆にその危機を乗り越えたという事で祝うようだ。
 人は、この世に生を受けた時、皆特殊な乗車券を持っている。《誕生―墓場》と書かれており、有効期限、途中経路、鈍行・超特急の区分は全く記されていない白紙の人生乗車券である。これをどのように使うかは、その人に任されており、遺伝的要因で決められている。更にこれを脚色するのが、生活習慣と運命であろう。それらを総合して終着駅を目指す途中、節目の《駅》に無事たどり着いたことを労い、今後の健闘を祈念するのが【歳祝い】であろうか。馬齢を重ねる事がどれほど目出度いか、私には分からない。歳を重ねるに従い、細かい文字は見えにくくなる。耳も聞こえにくくなる。滑舌は悪くなる。従ってコミュニケーションが悪くなる。本人はいつまでも若いつもりでいるから、『年寄りだから・・・』とか『さっぱり聞こえないんだから・・・』などと周囲が言おうものなら、途端に雰囲気は悪くなる。更に、昔は耳にした事・言われたことはすぐに記憶出来たことも、記銘力低下によりすっかり衰え、嘗ての冴えていた人と同じ人かと疑わしい状態になる。しかも周囲への遠慮が欠けてくるから、言いたい放題・やりたい放題になることしばしばで、修羅場を見ることも稀ではなくなる。それでも、ある節目の年になると、周囲の方々から『おめでとう』と言われる。お世辞にも程がある。
 心身とも(少なくとも精神的に)健康である限り、『おめでとう』と言われるのも問題はない。ただ、『おめでたい』と言われるのだけは、御免被りたい。
 どこまで自分はそこそこ普通の付き合いが出来るかわからないが、皆さんから見て“一応まともな範疇”に収まっているうちは、たいした事は出来ないが、ひっそりと、僅かだが世の為に働いていよう。そして私の好きな合唱組曲《雨》の中に歌われているように、【雨が上がるように静かに死んでゆこう】がこの歳になって考える、私の希望である。
 湿っぽくなりまして済みません。次は市立病院当時からの知り合いで、山王地区で消化器内科を開業され頑張っている倉光智之先生に、執筆をお願いします。
 追伸;勤務先異動のため、今回を限りに秋田市医師会を退会します。長年のお付き合い有難うございました。
 
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