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<ペンリレー>

発行日2021/12/10
市立秋田総合病院  池田 史圭
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私の徒然回想録
 
 市立秋田総合病院の小児科で勤務しております池田史圭と申します。
 青森県三沢市の出身で、大学卒業までは青森県内で暮らしていました。6年前に秋田市内へ転居し、現在は子ども二人を育てながら医師を続けています。
 私の出身地である青森県三沢市は、県東部にある人口約4万人の市です。海に面しておりイカ、マス、ホッキ貝などが特産です。中でもホッキ貝は漁港でお祭りが開催されるほどの一押しの特産品で、実家の食卓には父が作ったバターソテーがしばしば登場していました。父が殻のままの貝を買ってきてヘラで開けていた姿が懐かしいです。農産物では長芋、ゴボウなどが特産で、こちらもしばしば食卓に上がっていました。日本で唯一のアメリカ空軍、航空自衛隊、民間空港の三者が使用する飛行場があります。戦闘機などが頻繁に飛び、大学進学で地元を離れた際は飛行機の音が聞こえてこない静かな空を少し寂しく感じるほどでした。三沢基地の周辺は整備され、ほんの少し欧米風の町並みを楽しむことができます。日常、関係者以外が基地の中に入ることはできませんが、9月に行われる航空祭では正面ゲートが開放され、敷地内の一部を歩くことができます。航空祭では食べ物やグッズの露店が立ち並び、欧米の香りのするハンバーガーやホットドックなどを味わうことができます。また、天候がよければブルーインパルスの華麗な曲技飛行も催されます。曲技飛行は勿論ですが、飛行前に行われる厳かな点検ルーティンも必見です。飛行後にはパイロットの方々のサイン会が開催され、ファンで長蛇の列ができます。三沢市は北太平洋を初めて無着陸飛行したミスビードル号の離陸地点でもあり、飛行機にゆかりがある土地です。三沢航空科学館にはミスビードル号の模型が展示されています。屋外の広い芝生のエリアには引退した戦闘機が展示されており、その操縦席に座ることもできます。以前訪れた際に芝生でピクニックを楽しむ親子連れが多くいて、次回は私たちもと思っていましたが、その後に新型コロナウイルスの影響などから帰省が難しくなり、まだ実現できていません。
 大学進学を機に三沢市から弘前市に転居しました。弘前市は青森県内でも雪の多い地域です。一日に何度も雪かきが必要な日が多くあります。冬には灰色の空が何ヶ月も続きます。寄せられた雪で歩道が土手になり、車道や歩道のあちらこちらに雪の壁ができます。寒さや雪が苦手な私にとって弘前の冬はなかなか厳しい季節でした。「雪多い。冬辛い。」とぼやきつつ近隣の温泉を開拓したり、厚手のコートにロシア風のベレー帽を被って散歩したり、お菓子作りや晩酌に勤しんだりと少しでも楽しく冬を乗り切ろうと試みていた頃が懐かしいです。弘前大学医学部の校舎は桜の名所で有名な弘前公園の近くにあり、私も公園から徒歩10分程のアパートに住んでいました。春になると枝の間から溢れんばかりに花が咲きます。初めて見た時は息を呑むほどの美しさに驚きました。一番好きな花が桜になりました。桜祭りの期間中には公園内に露店が並びます。毎年大きい串焼き団子を食べるのを楽しみにしていました。桜で有名な弘前公園ですが菊と紅葉祭り、雪灯籠祭りといった四季折々のイベントが開催され、園内には植物園もあります。初夏はイベントこそありませんが桜の若葉が清々しく、ショギングに最適でした。試験の度に体重が増えてしまい、ひそかに市の体育館で筋トレをしたり、プールで泳いだりしていました。中学生時代から憧れていたストリートダンスのレッスンに通い始めました。この時に培ったダンススキルは現在、娘たちとプリキュアを踊る際に大いに役立っています。
 入学当初から幼少期にお世話になったかかりつけの小児科医の先生のようになりたいと思っていました。優しい笑顔の先生で、診察室には「医は仁術」と掲示されていました。他科に惹かれた時期もありましたが、6年生の時に小児科臨床実習で一人のお母さんから「先生に小児科医になってほしいな。」と言葉をかけていただき小児科医になる意志を固めました。
 卒業後は初期臨床研修と大館市立総合病院小児科での1年間を経て弘前大学病院に戻りました。当時、新婚早々に別居することに理解を示してくれた夫に感謝しています。その後4年程、大学病院で後期研修をしながら大学院で研究に励みました。妊娠を機に大学院での研究が一区切りしたタイミングで秋田市に転居しました。産まれたばかりの長女を抱っこしながらキーボードに向かい、学位論文を書き進めた日々は楽しい思い出です。長女が1歳を過ぎた4月に市立秋田総合病院に採用していただき、現在に至ります。
 秋田市医師会報のペンリレーに初めて投稿させていただくにあたり自己紹介となるような内容にすることを思い立ち、秋田市に来るまでを回想しました。改めてたくさんの方々との関わりや支えがあって今の自分があるのだなと感じました。執筆している間に様々なことが思い出され、雑多な内容となってしまいました。ご高覧いただきありがとうございました。次は市立秋田総合病院小児科の大野健太先生にバトンをお願い致しました。大野先生、よろしくお願い致します。
 
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