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<ペンリレー>

発行日2021/09/10
城東内科 心臓とおなかのクリニック  大場 貴喜
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セミの羽化
 
 7月のある日の夕、仕事から帰ると、真っ暗な家の塀にカサカサと蠢くものを見つけた。正確には妻が第一発見者で、何かいるからとのこと。最初はカナブンかカブトムシかなと近づいたら、なんとアブラゼミの幼虫だった。ザクッザクッと塀を元気によじ登っていた。子供の頃図鑑で羽化する様子などを眺め、いつかはと密かに憧れていたのだ。ここ数年抜け殻はあちらこちらでよく見かけるが、生きている蝉の幼虫を見たのは生まれて初めてである。気付いた瞬間「セミのヌケガラが動いている!!」とやや大き目の声が自然に出た。というか出てしまった。直ぐに「蝉の幼虫だ!」と言い直したが、後になって妻から「随分と滑舌良く大きな声でびっくりしていたね」と苦笑いされた。
 子供達も集まってきて「コワイ、カワイイ、チョーキモい、捕まえたい、飼いたい!」と盛り上がった。羽化する場所を求めて必死に塀をよじ登っている蝉の幼虫からすれば堪ったものではない。
 捕まえようということになった。
 我が家はネコ以外全員、虫を苦手としている。ネコはそこらのクモなどをよく食べてしまっている。子供の頃はカブトムシやカマキリなどを素手で捕まえるなど容易であったが、大人になるとすっかり苦手になった。実際いざとなると、ちょっと素手では無理である。よく見ると現実の幼虫は結構トゲトゲしている。ビニール袋を持って来てもらった。これならと思ったが、ザクッザクッザクッと力強く壁を登っている幼虫を捕まえるのは結構難しい。腰は大分引けてはいたが、ビニール袋を幼虫の上から恐る恐る被せた。思いのほか幼虫の活きが良く、塀の一番上辺りからアスファルトへ落ちてしまった。幼虫を傷つけないようにと慎重に任務を遂行し、ほっと胸を撫で下ろした。幼虫入りの袋を誇らしげに次女に近づけるとメチャクチャ顔を顰(しか)められた。
 玄関に入ると、我が家の飼いネコがいつものお出迎えである。幼虫入りの袋を低い靴棚の上に置いたところ、そのカサカサしているものがどうしても気になるようで、じっと睨めていた。私が車から荷物を降ろしている間に猫パンチをお見舞いしてしまっていたが無事だった。新鮮なおやつと間違えないように袋を棚の上に置いた。それでもネコは二足歩行で直立しじっと睨めっこ状態が続いた。妻と娘が閉店ギリギリのホームセンターから小さい虫カゴを一つ買って来た。こういう時のチームワークは我が家ながら素晴らしい。
 幼虫を袋ごと虫カゴに入れてからそっとお引っ越しさせた。ツルツルのプラスチック製の虫カゴの中には何もなく、幼虫君はずっとツルツルしたままで、これでは無事羽化できないのではと考えた。外から木の枝でも取って来てよという意見もあったが、蚊に刺されるのが嫌で却下した。割り箸でなんとか代用をと、割り箸をハサミで半分に切ろうとして切れず、結局ボキッと半分に折り、ガーゼを割り箸に巻いてセロテープで固定、木の枝風にした。羽化に向けて必死な幼虫は、初めはガーゼに後ろ足の爪が引っかかってしまい、やや滑稽な感じでしばらくツルツル滑っていた。虫カゴを横にすると黒い上の空気穴の部分が足場となり、安定して動けるようになった。
 セミの羽化に関しネット検索をしてみたところ、地上に出たセミの幼虫は、全てが成虫になれるわけではく、成功するのは40%のみとのこと。羽化の途中で落下したり、逃げることができず天敵の鳥などに食べられてしまったり、不成功の場合は羽化の途中でそのまま死んでしまうらしい。また標準的には16時頃に土から出てきて19時頃に羽化が始まるらしいが、既に22時を回っている。幼虫も元気に動き回っている。果たして我が家で無事羽化できるのか、とても心配になった。妻と子供たちとネコはまるで2020東京オリンピックで日本を応援するような感じで虫カゴに息を潜め噛りついていた。
 深夜0時過ぎ、風呂に入っていると、「幼虫がスゴイことになっている」と次女が教えてくれた。急いで風呂を済ますと、猫も含め家族全員、幼虫君に全集中していた。
 幼虫君は、既に頭部の中央が長軸方向に割れて、新しい身体がにゅーっと今まさにゆっっくりと出ている最中だった。抜け殻になりつつある元のボディは合計6本の手足をしっかりと割り箸のガーゼへ力強く立派に食い込ませていた。柔らかな真っ白い姿と、くしゃくしゃに折り畳まれた新しい翅(羽)が徐々にゆっくりと現れてきた。白色から薄い緑のエメラルド色で、綺麗なグラデーションの翅が徐々に広がる神秘的な様子は、息を呑むほど美しく、可愛らしくもあった。その後深夜1時頃から羽が広がり始め、2時頃から少しずつ茶色くなっていったと、夏休み中の長女が後日教えてくれた。
 翌朝見てみると、あれ程柔らかく可愛らしかった姿は、びっくりするほどカチカチで真っ黒の成虫に変わっていて見違えた。ジジッと小さな虫カゴの中を元気いっぱい飛び回る様子を見て頼もしかった。
 次女が「このまま死ぬまで飼いたい」と言い出した。蝉は卵で1年、幼虫で2?5年間も土の中にいて成虫になると約10日間で寿命を終えること、その間にパートナーを見つけ卵を産んで、次の世代に命を繋がなくてはならないことを説明し、なんとか説得した。
 とうとう旅立ちの時である。小さくなった虫カゴを庭に持って行き蓋を開けた。昨夜我が家での羽化は時間が大分ズレてしまっていたが無事完了し、今ではすっかり立派な大人の姿となって、ジジッジジジっと飛び立って行った。しかし意外と遠くには行かず、ずっと近くの木に留まっていた。「バイバイ!オスかメスか分からないけど、元気に卵産んでね!」と家族みんなで精一杯のお別れをした。
 その夜から3日間ほど、我が家の庭で深夜3時頃に「ジリジリジリ!ジリジリジリ!」と全力で鳴く蝉がいた。とても五月蝿(うるさ)くて深夜に何度も目が覚めてしまう。「セミうるさいね」と言うと、妻は半分寝言のような感じで「ウチのセミだと思えばカワイイもんだ」と言ってすぐに眠った。

 私は昨年クリニックを開業し、もう少しで1周年を迎えます。お陰様で忙しい日々を過ごしています。
 次回のペンリレーは、オーベンとしてお世話になった、高橋内科医院の津谷裕之先生にお願いします。
 
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