秋田緑ヶ丘病院の草薙宏明先生からのバトンを受け、この度ペンを執らせていただきました。草薙先生と私は精神科医として先輩・後輩の関係にあると同時に、同じ仙北市角館の出身で、角館小・中学校の先輩・後輩の関係にもあります。ペンリレーで何を書こうか迷ったのですが、前例に倣って自身の趣味について書かせていただくことにします。 私は自他ともに認める「祭り好き」です。毎年のように土崎の港まつり、竿灯まつり、大曲の花火、地元角館の曳山祭りを中心に、県内あちこちの祭りやイベントに出かけておりました。言わば、これらの祭りやイベントに行くことは私のroutineでした。土崎の港まつりや竿灯まつりには直接参加するわけではありませんが、囃子の音が私の心を奮わせます。大曲の花火では独身時代から桟敷席を購入し、職場や社会人サークルの仲間と一緒に「今の五重芯はイマイチだね」とか「流石は野村さん!(=野村陽一氏。茨城県の超有名な花火師。大曲の花火では何度も内閣総理大臣賞を受賞している。)」等と一端の花火評論家を気取っておりました。また、地元角館の曳山祭りには幼稚園の頃から参加しており、祭りが近づくと自然と胸の高鳴りを感じていました。家族が出来ても毎年子供を連れて帰省し、全員で町内の袢纏を身に纏って曳山を引っ張ることが恒例です。現在地元で老健施設の施設長をしている父親には、祭りで帰省する度に「祭りバカ」と鼻で笑われております。これら以外では、「これが秋田だ!食と芸能大祭典」や「新・秋田の行事」では念願だった花輪ばやしや西馬音内の盆踊りを、「東北六魂祭」では青森ねぶた祭り、盛岡さんさ踊りを観ることができ、お得感満載のイベントに感激したものです。 しかしながら、ご承知の通り今年はコロナ禍で全ての祭りやイベントが中止になってしまいました。そのため、私のroutineが守られないことになってしまったわけです。私の心は何となく満たされず、もう1つの趣味で埋め合わせることにしました。もう1つの趣味というのは大学時代に始めたバドミントンです。私は小学校時代に野球部、中学校時代に軟式テニス部、高校時代に映画研究会と、一貫性のない部活動をしておりました。大学に入学し、当初は「何となく面白そう」という理由でゴルフ部に入部しましたが、更に「女子が多い」という不純な動機でバドミントン部にも所属しました。 ゴルフ部では当時、我が秋田大学と弘前大学、岩手医科大学との3校定期戦があり、大学3年時に遊び半分で出場したところ、確か出場50人中49位でブービー賞を獲得したと記憶しております。同級生が好成績を残す中、何とも恥ずかしい結果でした。真夏の炎天下に汗だくになりながらセルフでゴルフバッグを担いで27ホールをラウンドしたことは本当に懐かしく、忘れられない思い出になってはいますが、この大会で私は「自分にはゴルフは向かない!」と判断しました。一応ゴルフ部には所属したままでバドミントン部メインに移行したのもこの頃です。 バドミントン部では大学4年時にキャプテンを務め、大学5年、6年と個人的に北医体や東医体ではそれなりに好成績を収めることが出来ました。また、強い先輩達が在籍していたこともあり、在学6年間で東医体の男子団体戦優勝を2回経験させていただきました。社会人になってからは5年くらいバドミントンから離れていたのですが、大仙市大曲の病院に勤務していた時に社会人サークルに誘っていただき、運動不足解消目的で体を動かしていました。現在の職場に勤務するようになってからは「海人秋田会」という秋田ではそれなりに名の知れた社会人サークルに所属し、「年功序列」によりサークルの会長を務めております。練習に参加しているメンバーの職種は様々なのですが、社会人だけでなく秋田大学医学部バドミントン部や秋田大学全学バドミントン部の部員、高校生や中学生といった幅広い年齢構成になっております。私はサークルでは最年長であり、若い人のスピード、パワーに追いつけず、試合形式になると私にはスマッシュを打たないようにする等、皆が変に気を遣ってくれます(笑)。 年齢が50代半ばとなり、体重も腹回りもぐっと増え、とてもシングルスをやるほどの動きは無理ですが、仲間に励まされながら今後も私の大切なroutineを続けたいと思っております。また、OBとして参加していた秋田大学医学部バドミントン部の公式行事(新歓コンパや幹部交代式、追いコン等)も現在コロナ禍で行えない状況にあります。いつの日か部の先輩や後輩と楽しくお酒が飲める日が来ることを願いつつ、ペンを置かせていただきます。 次回は秋田高校3年D組のクラスメイトで、米山消化器内科クリニック院長の米山和夫先生にお願いします。
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