高校同期の安田師仁先生からリレーを引き継ぎました。約30年ぶりに秋田で生活することになり、ご挨拶もかねて筆をとらせていただきます。このたび、八戸赤十字病院から秋田赤十字病院へ異動・着任しております。八戸近隣には海上自衛隊基地や米軍三沢基地があり、日常診療で自衛隊員や米国軍人にしばしば遭遇します。今回は前任地での出来事をご紹介します。 ある日曜の夕方に『洋上救護に行ってくれませんか?』と電話があり、急いで救護班が作られた。話をまとめるとこうだ。海上保安庁の船が太平洋航行中に、調査員が胸痛を訴えたため助けて欲しいという。洋上救護とは、海洋での疾病者の救難・救助活動であり、本州では山口県岩国基地、神奈川県厚木基地、青森県八戸基地の3箇所を起点に行われている。八戸地区は輪番制を敷いており、今回は当院が順番で循環器内科医の出番となった。現地まではヘリコプターの航続距離では到達できないため、飛行艇が用意されるという。飛行艇は現地で海面に着水し、その先は救命ボートを使い患者を救護し、収容後は海面から離水し基地まで戻ってくる。こんな説明を受けなんとなく理解するも、部下から『どんなふうに着水するか見た方いいんじゃないですか』とアドバイス。YouTubeで検索すると、着水する機体はまるで映画で見る不時着シーン。『え、これに乗るの!俺、飛行機苦手だし・・・』と一気に不安に。これは一大事と悟り、『父上、母上、先に逝ったらごめんなさい』と不測の事態が頭によぎる。そのとき、後輩から『僕、乗りたいです』の一言であっさり交代・・・ビビりの自分があらためて嫌になった。 飛行艇は岩国基地に常駐しており、まずは八戸基地へ移動し、救護活動は翌日早朝からとなった。翌朝、救護班を見送ったあとの天候はくもり。正午には波が高く着水できないため帰還の連絡が入る。数時間後に燃料補給し、再度アタック。次はなんとか・・・の願いも虚しく、17時に着水困難のため洋上救護断念となった。北海道に向けて航行を続けていた船は、その後根室港に着岸し、患者は陸路で病院搬送となった。2度の挑戦は空振りに終わり、戻ってきた後輩は、『いやー快適な空の旅でした。マイル貯まりませんでしたけどね!』と余裕の表情だ。とにかく救護班が無事でよかった・・・ところで患者はどうなった? 飛行艇は緊急時の出動がメインで定期便がないことから、飛行ファンの間でもあまり知られていない。現在、ビックコミックススペシャル(小学館)で『US-2 救難飛行艇開発物語』が連載中であり、その特徴や飛行性能さらに開発秘話を読んでみる。性能はアメリカ製オスプレイに劣らず、国内の洋上救護では日本製US-2が採用され、その活動範囲は南はグアム・サイパン、東はアリューシャン列島に及んでいる。2013年にはニュースキャスターの辛坊治郎氏が太平洋ヨット横断中の遭難で救助されている。機体の姿はスマートとは言えないが、航空機と船舶の両方の能力を持つユニークな機体で、長い滑走路は必要なく水面さえあればどこでも発着できる。近年、交通渋滞緩和のため空を飛べる自動車が開発されているが、飛行艇はまさに『空とぶ船』だ。いまも、いざという緊急事態に活躍しているはずだ。 次回、リレーは中通総合病院の阪本亮平先生にお願いしました。
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