「さっさと抜いてくれ」とつぶやきながら出勤するのが日課になっています。 自転車で通勤することが多く、途中、片側一車線、対面通行の道の左端を長い間走るのですが、後方から来る車が、さっさと抜いてくれると思っていると、なかなか抜いてくれないことがしばしばあります。自分は2年弱前に埼玉から秋田に引っ越してきたのですが、埼玉では同じ様な道で車がさっさと抜いてくれました。この「さっさと抜いてくれ」感覚は約30年前に、神奈川から秋田に来たときにも経験したことで、首都圏と秋田では、とるべき車間距離の感覚が異なる様に思えます。普段からあまり車の密度が高くない状況で運転しているため、十分な車間距離をとることがあたりまえの感覚になると思われます。 秋田では人と人の物理的な距離も十分とるのがあたりまえの様に思えます。バスで通勤することもありますが、車両の真ん中が入口、先頭が出口になっており、乗客が増えるに従い車内の真ん中あたりが混み先頭付近は空いていることがしばしばあります。首都圏の通勤時は真ん中から先頭方向に向け、自然に人の体による押し込みの力が働き、多くの人がなんとか乗車できる様になります。ところが秋田では、真ん中が混んできたので、少し先頭方向に押し込んだところ、押された人が驚いてしまうのです。満員による乗車うち止めにあったときも外からみて先頭付近は空いており、釈然としない思いでバスを見送ったことがあります。混んでいる場所で人同士が接触することに慣れていないのだと思いました。また、勤務先で廊下歩行時、対向して歩いてくる職員とすれ違う際に、自分は「少し狭いスペースだが双方通行可」と判断し、通過しようとしたところ対向者が驚いて急停止することが入職以来何度もありました。反省してなるべく人間(じんかん)距離を十分保つように心がけていますが、感覚的なものなのでなかなか徹底しません。 一方、秋田では心理的な人間距離、すなわち自分に関わるひとに対する関心、は首都圏よりも近い様に思えます。例えば、自分のした発言や行動で、自分自身が忘れてしまったような情報を、だいぶ時間が経ってからその場に居なかったひとから聞くことになったりします。「盛られて」いたりもしますが、ひとに対する心理的距離の近さによるものと思われます。 この様に距離感覚について自分と周囲にズレがありますが、物理的距離感覚については前回30年前に秋田に来てから多分5年後くらいにはズレがなくなったと思います。今回もそのうち慣れるかと思っています。心理的距離感覚については、「盛られて」いたりすると以前は一つ一つに目くじらを立てていましたが、最近は年取ったせいか、ある程度大目にみることができるようになりました。老化の効用と思います。 次は、外旭川病院の松尾直樹先生にバトンを託します。よろしくお願いいたします。
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