”翌年にオリンピックを控えた 2019年” を舞台にした物語といえば?
私の好きな漫画の一つである AKIRA の時代設定です。 お・も・て・な・し で東京に決定し日本中が興奮に湧いた際に”予言していたのでは?” と 一部で話題にのぼりました。 AKIRA は 第三次世界大戦から三十年余。 復興し、人々の心が荒廃しかけている街 ネオ東京 を舞台に、期せず超能力を得た少年と主人公との絆や戦いを描き、力を持ってしまった人間の悲哀に近いものが感じ取れる作品です。1982年に連載を開始。昭和の最終盤である1988年に映画公開。古い作品ながらいま読んでも色あせずとてもとても熱い作品です。映画については、漫画の完結前に作者の大友克洋氏自ら監督し、両者の間で話の筋や結末が大きく異なっていることも特徴です(ファミコンソフトはクソゲーです)。 2019年7月にアニメ新シリーズの製作予定との情報が出ており、大型書店などで特設コーナーが作られたりしています。何度もハリウッドで実写映画化か?の声が挙がりますが、漫画原作映画における惨劇を何度もみている現状では立ち消えになるたびにホッと胸を撫で下ろしております。(この原稿のために再度、原作と映画を観て付随情報を精査。大佐がわたしと同い年<正確には5ヶ月年下>と知り驚愕・・・)
このように映画の中に近未来を予測している作品があります。
わたしが 八歳だった 1985年。 1999年七の月を控え、北斗の拳やマッドマックスなど頽廃的な作品が多いなか、ゴールデン洋画劇場、金曜ロードショーと何度観たかわからないバック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)もこの年に公開されています。 BTTF2 で向かう先の未来はもうすでに過去である 2015年。 作中ではありえないものの例えとして、シカゴカブスのワールドシリーズ制覇が描かれ、一年遅れで的中させています。シカゴカブスは山羊をつれて観戦しようとした観客から呪いをかけられ、108年ワールドシリーズ制覇から遠ざかっていました。道頓堀に投げ込まれたカーネル・サンダースの呪いよりも強力です。 この作品で登場する家庭用生ゴミ処理機の ように 1.21ジゴワットの電力は作れませんが、天気予報については現実に近い技術がでています。
Part 1 で天気予報について進歩がないとのシーンがあります。そのシーンから後付けの伏線として、Part 2 では数秒単位での天気予報が描写され、同時に郵便に関して Part 3 への伏線を引いています。 現実の2019年に目を移すと流石に秒単位での予報は困難ですが、5分先の天気が携帯で見ることができ、日常生活に十分に役立てることができています。 これを 1985年の当時に予測できたでしょうか?
また、1985年には 国際科学技術博覧会が 開催されています。所謂 つくば万博 です。 翌86年の秋田博にも連れて行ってもらえず、テレビの中の出来事として茨城まで行ってきた友達を羨ましくみていた自分でしたが、 金浦小学校の児童全員で ”ポストカプセル2001” に参加しました。 これは1985年に書いた手紙が十六年後の 2001年元旦に届くというイベントでした。 全国から326万通もの手紙が集まり、その中には御巣鷹山で墜落する4ヶ月前に娘へ宛てて書いた故坂本九氏の手紙も含まれています。 わたしも小学二年生の拙い文章で物心がついてから数年間の科学の進歩を見て、”将来もっと凄いんでしょうね”と将来の自分に問いかける内容を書いていました。いま読むと赤面した顔の温度で発電すれば 1.21ジゴワットはゆうに超えてしまうほどの恥ずかしさです。 幼少期に思い描いていた 21世紀と現実の 21世紀。ベクトルの方向は違いますが、スカラーは超えているように感じます。 車は空を飛んでいませんが、小さな携帯のボタン一つで(ボタンすらないですが・・・)地球の裏側の人とでも顔を見ながら会話ができます。 火星への有人探査はできませんが、三十年でなくなるといわれつづけていた石油の可採埋蔵量は増え続けています。 ロボットは街中を歩いていませんが、一つの細胞ごとの遺伝子発現を解析することができます。
十年以上前の大学院生時代、腎臓学会総会のシンポジウムで ”20-30年後には生体プリンターで腎臓を造ることができる” という内容の講演を拝聴しました。 血管や心筋シートであれば作成が現実的となり、臓器自体の作成も近い未来になった今日、先見の明のないわたしは ”んなあほな” と心のなかでつっこんだことをいまでも憶え恥じています。 医者になって十数年、デュアル抗体製剤や免疫チェックポイント阻害薬、CAR-T療法など学生時代にはなかった薬剤や治療デバイス、実験機器がつぎつぎと産み出されています。 同じように十年前には開業医になっている自分自身の未来を予見してはいませんでした。
未来は実際に予測していた以上のことが起こり得ます。 しかし、経験や知識がなければ予測することすらできません。 疾患に対するたちむかい方も同様だと感じます。 疾患に対する経験や知識がなければ、今後どのように進行していくか、改善していくか患者(時には自分)に説明することはままならないと考えます。 開業してから自分の専門分野だけではなく、さまざまな領域や医学以外の分野の知見を 学ぶ機会が以前にも増して増えています。 現在 自分で持っている好奇心を維持し、経験や知識を少しでも蓄えつづけ、臨床や日常に生かしていきたいと考えています。
ペンリレーの次の筆者は4月より中通総合病院に活躍の場を移された 奥山 慎先生に お願いいたしました。 奥山先生にはわたしの研修医時代より医者のいろはだけでなくさまざまな知識について多分に御教示いただきつづけております。 ここまで拙文にお付き合いいただいた先生方、新たな場に移られた奥山先生の活躍を祈念し結びとさせていただきます。
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