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<ペンリレー>

発行日2018/05/10
秋田厚生医療センター  畑澤 千秋
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昔ライダーだった私
 
  昭和60年秋の日曜日、鄭先生とICUの楓婦長と3人で京都大原へツーリングに出かけた。私は卒後2年目で、神戸の兵庫県立こども病院に研修に出ていた。鄭先生は小児循環器科の中堅で、ある日突然「人生は楽しまなきゃ」とバイクを購入したようだった。レーサーレプリカ全盛の頃であったが、鄭先生のバイクは確かカワサキGPZ400Rだったように思う。高速の路肩(付近)を走行してすんなり京都に入り、街中を抜け、三千院、寂光院を巡った。天候にも恵まれ、紅葉は始まったばかりであったが古都の秋を十分に楽しむことができた。その帰り京都市内の渋滞路を走行中に、病院では強面の武闘派で鳴らしている楓婦長が左側からいすゞピアッツァを追い抜き、その際ドアミラーをこすってしまった。楓婦長はそっちの~せいよっ!とばかりにドライバーをキッとにらみつけ、一触即発の雰囲気になった。ハラハラしながら見ていた鄭先生と私はいつものことながらその鋭い眼光に震えあがっていたが、ピアッツァのドライバーはボンボン風情でしょせん楓婦長の敵ではなかった。楓婦長の年令は不詳であったが、当時ネコの首に鈴をつける者は誰もおらず、乗っていたバイクが何だったかも忘れてしまった。
  私のバイクはヤマハXJ400で、限定解除しホンダCB750Fインテグラに乗り替えた弟から譲ってもらったものだった。神戸に行ったばかりの頃街を流していて、慣れない板宿の一通に気付かず10mほど逆走してしまったが、目の前にあった交番の巡査は切り株にぶつかったウサギさんを見つけた如く優しい顔で声をかけてくれた。持ち点4であった私はさらに2点をgetし、明石で行なわれる兵庫県警主催の勉強会にご招待となった。
  こども病院は当時須磨にあったが、夕食は時々南京町まで走り、気が乗った夜は大阪まで遠征した。見事な夜景の中を照明灯に照らされて浮かぶ一条の阪神高速神戸線は、秋田育ちの私にはこの上の無い美しさで映った。神戸在住中、昼にも夜にも族の皆さんと遭遇することはなかったが、黄緑色のカワサキKR250に乗っていた神戸のヤンキー boyと並んだ時には少しお話しさせてもらったことがある。懐かしい神戸、鄭先生お元気か?楓婦長はどうしているかな?
  XJ400は評価の高い車種で、実際安定していて乗りやすく街乗りもツーリングも快適だった。南は大宰府、北は稚内とずいぶんいろいろな所まで走ったが、大分古くなり車検も切れたので代替車を探すことにした。広面のバイク店に中古のホンダVT250F(VT250FE)を見つけ、当時大人気で評判も良かったことから乗ってみようと購入した。「XJ400は無料で引き取るよ」との店主の顔が妙にほくそ笑んでいたのは気にしないことにした。 
  VT250Fは確かに扱いやすく軽快で、街乗りには最適であった。しかしシートとステップの距離が少し短めだったため、私の長い脚では膝の屈曲がきつかった。また乗車姿勢も前傾気味で、遠出の際には多少疲れてしまうのが難点だった。エンジンはDOHCではあったが、V型2気筒はXJ400のinline fourに慣れていた耳や体には少し物足りなかった。Youngがバリバリ言わせるにはよかったが、おっさんがトコトコ乗るのはちょっとカッコも悪かった。
  平成2年に半年あまり仙台に住んだが、泉の仙台バイパス沿いのバイク店で何台かのカワサキGPX400Rの中古を見つけた。GPX400Rは発売された時に雑誌で見て一目で気に入り、いつか乗ってみたいと思っていた車種だった。しかもボディカラーが黒と赤で特別なモデルなのか通常赤であるホイールが私好みに黒になっているものがあり、さっそくこれを購入した。VT250FはCB750Fインテグラを転勤のために手放していた弟に譲った。
  喜々として仙台近郊を中心に走り通勤にも使用していたが、ある日賃貸マンションの駐車場から盗まれてしまった。うかつにもハンドルロックをしておらず、イグニッションを直結されて持っていかれた。2ヶ月後に川原に乗り捨てられているのが発見され幸いエンジンは無事だったが、購入価格の半分程度の費用をかけて修理するはめになり、結局新車価格で取得したようなものだった。蔵王や磐梯山に遠征はしたものの、以後は通勤には使わず勤務先の車庫奥に定置した。
  平成7年に青森市にある県立中央病院に勤務することになった。年に2ヶ月ほどは外来専従・病棟フリーとなる勤務体制であったことから、津軽半島、下北半島などを巡り、アクセスの良さを利用して数回北海道へも足を伸ばした。また八甲田山は官舎から30分程度で行くことができ季節ごとに走りに行ったが、特に新緑、紅葉はさすがの素晴らしさで、その中を走る爽快さはたまらなかった。ただ家内を後ろに乗せて走った時には、やはり400㏄では余裕はなかった。
  GPX400Rは大ヒットモデルGPZ400Rの後継車種であった。着実な改良が加えられ、フレームはアルミからスチールに戻されたが車重はむしろ軽減し、シート高もさらに下がり足つきが良く、取り回しは容易であった。また乗車姿勢は前傾すぎずカウルにより空力特性にも優れ、長距離を快適に走行できた。Inline fourのヒュンと吹き上がるエンジンの音と振動も心地良かったが、何よりホンダでもなくヤマハでもなくスズキでもないカワサキのバイクであることが魅力的であった。
  GPXの不幸は、GPZがその人気故しばらく併売されたことである。衆目は引き続きGPZが集め、GPXは250はそこそこ存在を示したものの400、750は振るわず、わずか4年で生産終了となってしまった。数年前神戸で学会がありメリケンパークのカワサキワールドを訪れバイクのコーナーを見学したが、GPZの展示は勿論あったもののやはりGPXの展示はなかった。そこにいた元カワサキ社員であろう中年の係員に「GPXも良かったですよね」と話しかけてみたが、彼はそもそもネイキッドが好みのようで反応は今ひとつであった。しかしGPXもバイクとしての性能の評価は決して低くはなく、YouTubeに画像がいくつかupされたりGooBikeなどで流通もまだ見られ、今でもcoreなファンは存在するようだ。
  平成9年に子供が生まれてからはほとんど乗ることはなくなり、転居の際にただ運搬のために乗るだけになってしまった。車検が切れても手放す気にはなれずまた乗るからとそのままにしていたが、平成16年の最後の転勤の際についに観念し、大曲桂町のバイク店に廃車処分を依頼した。「名義変更の方が簡単だ」と言われその手数料を支払ったが、引き取りの際に実車を見たこの店主の顔もまたほくそ笑んだように見えたのは気のせいであったろうか?(今ならバイク王などに買ってもらえると思う)。
  私は大学卒業時に免許を取得し参入した「遅れてきたライダー」であった。当時はバイクの特に中型の全盛で、次々に新しいモデルが登場していた。しかし最近は若者のバイク離れが進み、各メーカーの売り上げも芳しくないとのことである。車種もずいぶん整理されているようだ。反面休眠から覚めた中高年の「リターンライダー」が増えており、この方々の事故が多いという。昔取った杵柄とはなかなかいかないのであろうか。
  いつの間にかかれこれもう20年もバイクに乗っていないが、時折家内の原付を借りて走るとワクワクする。体力が落ちないうちに早く復帰し、また爽快な風の中に自分を置きたい(限定も解除したいな←免許制度がとっくに変わってるって!、それより大型に肩や腰が耐えられるのか?)。走り始めた頃「海岸に一番近い道路をたどって日本を一周する」という目標を立てたが、今までに宮古から北九州までの日本海側と北海道の全周を走破した。残る本州太平洋側をそして九州・四国を回り(もう一回北海道も)、是非目標を達成したい。かつては短い休みの間にどれだけ距離を稼げるかを考えてがむしゃらに走っていたが、今度はゆっくりと、できれば家内をサイドカーあるいはリヤカーに乗せ、各地をクルージングしたいと考えている。

  次はいつも明るい当院のリプニツカヤ兄貴、小児科の山本翔子先生にお願いしました。
 
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