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<ペンリレー>

発行日2017/10/10
やばせ内科クリニック  俵谷 博信
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五十にして天命を知る
 
  かの孔子は、「五十にして天命を知る」と述べました。人間というものは、五十代にならないと天命を知ることはできないよ、という孔子の生命観だと思います。
  「苦しい時の神頼み」という言葉があるように、人は特に苦しい時に神仏を超えた何かに期待をします。神仏と言うと限定されますので、孔子にならい「天」とここでは述べておきます。人は天に期待をすることがあります。
  明治時代のキリスト教思想家内村鑑三は、「天に何かを期待するのではなく、天が自分に何を期待するか」をという言葉を残しました。キリスト教思想家の内村鑑三がこのような言葉を述べたことは、興味深いです。つまり、「苦しい時の神頼み」ではないよ、と。人が天としか言わないものに期待するものではないよ、と。
  実際に現実はそうではなくて、天が自分に何を期待しているのかを知るのが大事である、ということです。そのように考えると、孔子の「五十にして天命を知る」という言葉にますます深い意味がありますね。
  この言葉の前は「四十にして惑わず」です。人は四十代になると道理も明らかになり自分の生き方に迷いがなくなる、ということですね。ところが、現代は四十代が一番惑うのではないでしょうか? 仕事、家庭、子供、年金、親、老後など、書き出すだけでもたくさんありますね。「中年期の危機」呼ばれる時期と重なります。僕は48歳で大病を経験しました。たくさんの人に助けられました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
  仮に四十代で惑ったとしても、それが無駄ではなかった、と後で悟れば良いのですが、僕はまだまだその境地に至っておりません。五十代かどうかはわかりませんが、人は回り道をしても意味がある、そしてその先に自分の「天命を知る」ならばすばらしいですね。
  「天命を知る」ということは、「天が自分に何を期待しているかを知ること」でしょうか。そして、思春期から疑問に感じている「自分の生きている意味はなんだろう?」といった疑問に対する答えを得るのでしょう。
そのためには、齢と経験を重ねながら日々生きることでしょうか。一日一日の積み重ねですから、まずはその一日だけを考えて大切に生きれば良いのだな…と思う今日この頃です。
  僕もまだ天命を知っているとは言えません。ですから「天命を知りたい」という気持ちはあります。前を向いて一日一日を歩こうと思います。
  次回は、松岡悟先生にお願いします。
 
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