僕にはやや狭い座席に身を縮めて座る、ごついマイク付きのヘッドホンを渡され頭に付けた、声を出した時だけマイクが入りほかのメンバーのヘッドホンにも伝わり騒音の中でもコミュニケーションがとれるらしい。ブラックホークダウンでもつけてた気がする。「秋田赤十字ドクターヘリ、テイクオフ」たぶんそんなようなセリフのあと、ローターの回転数が上がり轟音とともにゆらゆらと頼りなげに宙に浮き始めた。ついに来たとちょっと心拍数上昇。ゆっくり高度があがる、お尻の下が冷たいような気がした。ガラス張り部分が多く結構全面見渡せる。飛行機から見るミニチュアのような大きさでもなく、かといっていつも見ている景色とも違う、中途半端な高度の景色が新鮮でちょっと気分高揚。 宮崎アニメもラピュタ、紅の豚が大好き、遊園地の観覧車、絶叫マシンも好き、要するに○○と煙はという○○な感じで高いところが好きでした。飛んでみたいとはいつも思っていました。ただ運動神経も今一つで本気でパイロットは無理かなと思っていましたし、かといってバンジージャンプは飛べなかったら情けないなどいろいろ考えるとなかなか飛ぶチャンスもなく、卒業旅行でヨーロッパの北限ノールカップ(実際は北限ではないらしいです)に行ったとき小さなプロペラ機で雪山の間を飛んだ時が一番飛んだ感じがした思い出でした。 そんな僕にとって自分の選んだ職業(新生児科医)でヘリに乗って飛ぶ最初のチャンスは、新生児科になってすぐに訪れました。県北地方(秋田から車で2時間くらい)で早産児の突然の出生があり、当時ドクターヘリはなかったのですが、なまはげで迎え搬送をすることになったのです。完全に行く気満々でヘリポートに向かった僕は突然の宣告を受けます。ヘリに乗れるスタッフは二人だけだと、必然的に医師一名、看護師一名になります。新生児科歴一か月だった僕の技量では何かあったら危険という判断になり、看護師は乗りたくなさそうだったので食い下がりましたが、やはり記録や医師の補助等看護師には看護師のプロの仕事があり断念せざるを得ませんでした。その口惜しさは今回乗るまで夢に見るくらい残りました。 2度目のチャンスは、その約4年後、里帰り出産で病態は落ち着いてきたけれど退院できない重症児を関東方面に搬送する機会がありました。この時もヘリ搬送が検討されたのですが諸事情がありANAを利用することになりました。ANAの担当者と何度も電話を繰り返し、書類を準備し、実際の搬送もなかなか困難でしたが、この時のANAの対応には大変感謝しています。話がそれましたが、この時も諸事情で涙をのみ、この2回の出来事がヘリに乗ることへの僕の中の期待をより膨らませることになりました。 そして今回赤十字病院に戻ってきて、日常的にヘリが飛んでおり、なにか機会がないかなと思っていたら、ついにめぐってきました。重症疾患で手術が必要な児を他県に搬送することになり、ついにヘリでということになったのです。僕の技量も若干向上したと判断されたようです。ここでまた空の上に戻ります。 その日は天候不良のため、少し北を回る空路で向かうことになり、飛行時間がやや伸びた。これがまずかった。患児の状態は良好で周りを見る余裕もあったが、「あと15分くらいでつきます」とヘッドホンからなったあたりから異変は起きた。もっと前から起きていたのかもしれないが、気分の高揚、患児急変に備える緊張が忘れさせてくれていたものをもう乗り切ったと気が緩んだのだろうか、突如みぞおちあたりがもやもやしてきた。やや雲はあるが青い空は変わらない、山の緑も澄んだたたずまいを維持している。けれど僕の中で急にどんよりと変化した。手足の先が冷たいような、痺れるような感覚になる、完全に酔っていた。小さい頃母の実家に向かう山道で当時乗っていた茶色いセダン、父の流すさだまさしの道化師のソネットが耳に入る状態で、笑ってよといわれても笑うどころか猛烈な嘔気と戦っていたことを思い出した。成長しすっかり鍛え上げられたはずの三半規管もこの新たな気圧、揺れには耐えられなかった。冷や汗をわきに感じながら残り時間を耐え、ついに降り立った。着陸も今度はビルの上のヘリポートで離陸と同じ高揚があるはずだったが今いち記憶が乏しい。ただそのビルから僕だけ救急車でさらに移動があったため帰りは新幹線だったことをちょっと感謝した。足は少しふらつくがビルの上の風は心地よかった。やっぱり○○と煙はビルの上も好む。 以上で終わろうと思いますが、この原稿の締め切りは5月20日でしたが、今現在オスプレイは墜落し、大阪都構想は頓挫し、24時間マラソンのランナーはDAIGOに決まるという状況です。つまり2時間くらいで原稿完成しています。過去のペンリレーを読むと役に立ちそうな情報が入ったものも多くありますが、今回何も役に立ちません。公私混同、失礼な文章等、お気に障る点も多々あるかもしれませんがご容赦ください。次回は今現在当院新生児科で研修してくれている才色兼備の荻野奈央さんにお願いしました。 追記 搬送した患児は無事手術も終わり現在も元気に成長しています。搬送先の病院のスタッフをはじめ、当院のフライトスタッフ等関係した皆様に感謝いたします。もう一つだけ言わせていただければまた機会があれば僕は進んでヘリに乗りたいと思います。
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