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<ペンリレー>

発行日2012/07/10
秋田組合総合病院  添野 武彦
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合唱に魅せられて
 
 鈴木 裕之先生からリレーを引き継いだ添野です。鈴木先生とは『秋田・たばこ問題を考える会』で禁煙運動を一緒にやっている関係で、このペンリレーへの参加となりましたが、今回は煙たい話でなく、私の趣味の一つである《がっしょう》について書いてみたいと思います。

 壮年期でもそうであったが、《○○高齢者》という言葉が目の前にちらついてきた昨今、女性の元気の良さには圧倒される。取分け歌を趣味とする集団にあっては、この感
が強い。私の趣味の一つに合唱があるが、小学校の父兄の合唱団では、ほぼ100%ママさんコーラス。社会人グループでは80%くらいは、色々な洒落た名称がついてはいるが、実は『昭和○○年代少女合唱団』。混声合唱は数少なく、男声合唱団となると、いわば赤飯のゴマ的存在である。合唱というと、直立不動の集団が聴いていて眠くなるような曲を歌い、何が楽しいの?という御仁も多いかもしれない。誤解である。ポピュラー曲或は演歌すら編曲されて、立派な合唱曲として歌われているものもある。
古来わが国でも、斉唱だが男声合唱が長く主流を占めていた。但しこの場合は、【合掌】と最後に号令が掛かることが多いようではあるが。また外国の場合も、混声合唱による民謡は別として、男性修道院を中心に賛美歌が歌われてきた。女性を排除した不自然さを補うために、ボーイソプラノを充てたり、極めて変則的だが、男性でありながら女性顔負けの高音を発するカウンターテナーなどが女声パートを補ってきた。
 何故、このような宗教に関連した男性合唱が、洋の東西を問わず流行ったのであろうか?素人として勘ぐるに、寺院という音響的に残響が適度にある効果的な空間で歌われること。男声特有の低音が耳に優しく聴衆に訴えたこと。日本の場合では斉唱だが、様々な音色の声がうまく混じり合って、結果的に何部構成かの合唱になっているためではないかと思う。即ち、異なる高さの声が効果的に混合することで、心地良い倍音が発生し、聴く者を魅了してきたため、賛美歌または読経が長く根付いたのではないかと思われる。
 さて、私についてはどうか?歌うことは元々好きであったが、合唱は小学校のNHK合唱コンクール出場のため、何人かと残されて練習し、最終的に振るい落とされた経験がある程度であった。大学に入って教養時代、二日がかりの実習があった時のことであった。偶々時間待ちで鼻歌を歌っていたところ、隣にいたM君が言葉巧みに私をおだて上げ、合唱に誘われた。『○○もおだてりゃ木に上る』の喩えよろしく、合唱に参加したことから第1回目の合唱活動が始まった。そうは言っても合唱に入った動機は、純粋な面と極めて不純な面がある。その1:歌うことが好きである。その2:卒業してから暫くは、医療界にあっては度素人である。従って先輩の諸先生から、温かくまた厳しい、時には常軌を逸したご忠告・激励・指導を賜ることは必至である。そのうえ、看護婦諸嬢からも冷たくされては叶わない。同年代であれば、卒業は彼女等の方が早いから、私が研修医となった頃には、彼女らは立派な看護婦(学生時代のことですので、あえて看護“婦”としました)として働いている筈。学生時代から顔を繋いでおけば、厳しさは半減できるであろうという甘えの、二つの理由からである。しかし、自分の声の特性を知らないで入部したため、当初はテノールでメロディーを歌えるだろうと考えていた。初日に練習場で先輩から声をチェックするから、と言われて少し声を出したところ、『君はバスだね』と簡単に言われた。バスとは、合唱にあってはまず下支えのパートであって、主旋律を歌うことは極めて少ない。合唱歴が長くなって分かったことだが、オペラなどで際立っているが、バスの連中に回ってくる役は、《悪魔》《監獄長》《山賊/海賊》《邪な下心のある悪者》等々、決して良いイメージの役回りはないようである。それでもグループとして歌ってみると、主旋律ではないものの仲々楽しいのである。
 秋田に戻って暫くは、しかし、仕事の都合から合唱を離れていた。40歳も過ぎたある年、秋田市で《ベートーベンの第九交響曲》を歌う催が企画され、合唱団員募集の広告が眼に入った。これですっかり焼け棒杭に火が点いてしまった(第二の本格的な合唱へののめり込みである)。この合唱を契機に、聖霊短大教授であった築地利三郎先生を指導者とする合唱団に入り、オペラの合唱曲とか宗教曲、わが国の作曲家による合唱曲など様々な合唱曲に接してきた。
 それはさて置き、合唱を長く続けてきて、歳を重ねるに従い合唱に関する見方が変わってきた。合唱の持つ魅力とは、1)安価に出来る楽しみである。特別な楽器は要らない。何人かが集まればできる。せいぜい、始めの音を確かめるための標準音叉(ラの高さの音)が一つあれば良い。2)日本人の性格に極めて適合した楽しみである。即ち、皆より飛出して目立つことをせず、遅れて顰蹙をかうことなく、護送船団の如く集団の中に個性を埋没させるからである。時に歌いだしに出遅れて、幽霊のごとくスーッと集団に紛れて入り込み、さもさも最初から歌っていましたというような顔をすることも無いではないが。3)呼吸リハビリになる。4)医療界以外の方々と交流することで、新しい刺激を受け、楽しみが増す。5)呆ける前から音楽療法に身を置いておけば、少しは効果があるかもしれない、等である。しかし、最後の効果については聊か疑問が残る。長年一緒に歌ってきた方が、最近、老人特有の著しい記銘力の低下、被害妄想的言動を呈するようになり、退団されたからである。
それはともあれ、長らく続けてきた趣味である。赤飯のゴマ的存在であろうと、風前の灯火的存在の合唱団であろうと、また嘗ての少女たちの合唱への勢いに気圧されようと、暫くは歌うことを継続しようと思う。いつか複数の男声斉唱による合唱に送られて卒業するまでは。そのときは誰かが言ってくれるであろう「がっしょう」と。

次は秋田高校同期で、この3月まで駅東班でお世話になりました《越後谷クリニック》院長、越後谷 武先生にバトンをお渡しいたします。
 
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