皆さんはマトリョーシカを知っていますか?ロシアの伝統的なお人形さんで、胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っており、これが何回か繰り返される入れ子構造になっているもので、胴体とやや細い頭部からなる筒状の構造です。6重以上の入れ子である場合が多く、それぞれの人形には女性像が描かれているのが本来のものですが、歴代の大統領など有名人が描かれたもの、動物や絵柄など人間以外のものが描かれたものなど各種あります。 4年前に在籍していた昭和大学横浜市北部病院で教授のカバン持ち兼、大腸内視鏡検査の指導という仕事をするためロシアに行く機会がありました。その際町のあちらこちらにお土産として売っているマトリョーシカの種類の多さ、また、ひとつひとつ模様や形の違いに、興味をもちました。私が自分のお土産として購入したものは胴体部分に物語が描かれているもので、あけるたびに胴体の絵にストーリーがあることに感動しました。またマトリョーシカの足のうら(そこの部分)に作者の名前が付いているものは高級だというのも聞いてそのようなものを探したり、高級なものほど小さいマトリョーシカになっても顔がしっかり描かれたりしているのがわかったりと同じようにみえる人形たちにも違いがあることを、いろいろ勉強してきました。(雑に描かれたものは一番小さい人形の顔には「へのへのもへじ」と書いてあるだけでびっくりしました)人形の色は赤や青のカラフルなものをお土産として頂くことが多いですが、木の色素材のままで色づけしていないものもあります。 1900年のパリ万国博覧会で銅メダルをとったのを機会にロシア各地でいろいろなマトリョーシカが作られるようになり、ロシアの民芸品、みやげ物として知られるようになったそうです。ロシアだけでなく、日本にもマトリョーシカ人形と同じ作りで、だるまなどの入れ子人形があるそうです。起源はそう古くはないようですが、起源の元となるものはいくつか挙げられています。
1.日露戦争にまつわる説として、愛媛県・松山捕虜収容所のロシア兵が愛媛県の郷土玩具の一つ、姫だるまをまねて作ったという説。
2.1890年代半ば、モスクワ郊外に住む、S.I.マーモントフ夫人と画家S.V.マリューチンとザゴルスクのろくろ師V.ズビョズドチキンによってモスクワの工房〈子どもの教育〉で制作されたという説。
3.19世紀末、箱根にあった正教会の避暑館にやってきたロシア人修道士が、本国への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)がマトリョーシカのもとになったと言われている説。
なお、日露戦争は1904年から1905年の出来事であり、1の愛媛県のロシア人捕虜が持ち帰った説は、1900年にパリ万博で銅メダルを獲得したという事実と明らかに矛盾します。そうした理由から日本ユーラシア協会では、2・3の説を採用しているとのこと。(インターネットに書かれたマトリョーシカに関する記事の抜粋)ロシアの民芸品が箱根細工の入れ子人形からきているのであれば、最近は若者にも人気が出てきたマトリョーシカですので、次に流行るのは、だるまでしょうか? 先日角館の武家屋敷内のお土産屋さんで何故かわかりませんが、マトリョーシカのポーチが売っておりすぐに購入しました。今私のお気に入りのグッズです。マトリョーシカの一番小さい人形に、願いをこめて息を吹き込んで閉じこめたら、願いが叶うというロマンチックな言い伝えもあるそうです。ぜひ皆さんも願い事をしてみてくださいね。 次は濱島医院の濱島由紀先生にペンリレーをお願いしました。いつもありがとうございます。
|