「この黄色い小さなかわいい花 何の花か知ってる?」 結婚して4年目の頃だっかた、図鑑を見ていた妻に問われたことが全ての始まりであった。元来花を愛でるほど風情のある人間ではなく、ましてや個々の花の名前や特徴なぞ知るよしもない。当時住んでいた借家の庭に咲く梅・桃・桜の区別すら怪しかった。 「・・・・・・・・・。」 「この花はね、きゅうりの花。じゃあこっちの紫の花は?」 見たこともない。 「これは茄子のお花。」 その後もトマト・ジャガイモなどいくつかの花の名を問われたが、私にはさっぱり分からなかった。 「あのね、庭に野菜を植えようと思うの。本物のきゅうりや茄子の花を見たくない?」 当時の私にとって野菜は市場で売られている物以外の何物でもなかった。 妻の術中にはまっていくのを感じながら、しかし野菜の花に対する興味が、というより『もぎ立ての野菜が食べられるかも』という食欲魔人的発想の下、我が家の畑作りが始まった。 どこで覚えたのか知らないが、妻は上手に庭を耕し、土を入れ、畝を立て、数種類の野菜の種を蒔き、苗を植えていった。私といえば休みの日に妻に言われるがまま手伝いをしていたような気がする。 野菜の苗たちの成長に伴って、細々とした仕事も増え始めた。 間引きをし、添え木を立て、水加減をし、虫除けのネットを張り・・・時には「元気に育ってね。きれいな花を咲かせてね。大きな実をつけてね。」とスコップ片手に妻が野菜たちに話しかけている、いやむしろ脅していることもあったようだ。 そのせいかどうかは分からぬが、野菜たちはすくすくと育ち続け、ある日、夜遅く帰宅した私を待ち構えていた妻が嬉しそうに話しかけてきた。 「きゅうりの花が咲いたよ。ほらそこの下のところに黄色い花が咲いているでしょ。うちの庭で咲いた初めての野菜の花だよ。」 懐中電灯に照らされたその花は、図鑑の写真よりも健気で儚げに思えた反面、受粉する為に虫たちを呼び寄せようと精一杯美しく咲こうとしているようにも見えた。 何の変哲もない小さな黄色い花だった。けれどなぜか、その夜はなんとなく幸せな気分になったことを覚えている。 その後、茄子やトマトなど数種類の野菜たちが次々に可憐な花を咲かせ始めた。花を愛でる一方、食欲魔人の頭の中には『もうすぐ採れたての野菜が食べられる』という期待感がむくむくと湧き上がっていた。 やがてあちこちで結実が始まり、日一日と大きく育っていく様を眺めつつも、いつ収穫するのか楽しみで仕方ない私は、 「初めて採った野菜は生で食べよう。それからきゅうりはこうして、茄子はああして、トマトは・・・」具にもつかぬことを話しては、妻に苦笑されていた。 そしてついに収穫の日。 いつにも増して早起きをし、朝露に濡れたきゅうりをチョキン、トマトをチョキン、茄子を・・・。 採れたての野菜、そのなんとも表現し難いほどに美しい色合いや独特の手触り、そして青臭く刺激的な香り・・・。 「わたしはとってもおいしいよ。お父さん、早く食べてよ。」 野菜たちが語りかけてくるような気がした。 たぶん、自分自身が早く食べたくて仕様がなかったのだろう。 たらいに水を張り、採れたての野菜たちを浮かべる。冷えるまで待ちきれず何度も覗いては妻に「まだよ」とたしなめられながら、頃合いを見計らってガブリ。 「うまい!!!」かすかな陽の香りの後、野菜本来の香りが鼻腔をくすぐり、口いっぱいに広がっていく。 野菜ってこんなにおいしいものなんだ。 日ごろスーパーで買い求めている野菜(朝穫れと書いてあっても)とは別次元のものに思えた。 当時飼っていたハムスターの『つくし』に、採れたてのきゅうりを与えると、むしゃむしゃと一心不乱に食べている。次の食事時間に市販のきゅうりを食べさせようとしたが見向きもしない。しかし庭のきゅうりを与えると待ってましたとばかりに抱え込むようにして食べ始めた。動物は正直者であった。
あの感動から、はや十数年、今は農家の老夫婦の指導を受けながら自宅の裏庭を耕し、せっせと野菜作りに励んでいる。相変わらず妻の助手ではあるが・・・。 今年は、キャベツ・レタス・ブロッコリー・カリフラワーから始まり、夏野菜の面々の収穫が一段落しかけている。あまりの豊作に、ご近所に配り歩いたが冷蔵庫の中は収穫された野菜で満杯となった。特にピーマンが採れるわ採れるわ。しかも妻はピーマンが食べられないときている。自然わたしの食卓には数種類のピーマン料理が余分に並ぶことになる。よくもまあこれだけ色々な料理法を思いつくものだと感心はするものの、中身はやっぱりピーマン。うれしいやら悲しいやら。 この後は大根などの冬野菜を植える予定らしい。順調に行けば約20種類の自家製野菜が食べられることになる。
「この花はなんの花?」この問いかけがなかったら、野菜そのものを知らずに過ごしていたかも知れない。 そしてまた、当たり前のように売られている野菜たちが、どれほどの手をかけて、大切に育てられてきたのかを知ることもなかったであろう。 小さな小さな畑ではあるが、そこから教えられることは無限にありそうだ。
我が家の最終目標・・・それは米作りと自給自足。 ただし鶏は怖いので卵は買います。牛も豚も家が狭くて飼えません。だけど農作物だけは何とか自給自足を目指したいと思っています。
会員の皆さん 駄文を最後まで読んで頂き誠に有難うございました。 次回は良き友人で良き同僚でもある、中通病院呼吸器外科科長折野公人先生にお願い致しました。
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