この記事が掲載される頃、ボクはアレルギー専門医試験に向けて、久しぶりに試験勉強をしているに違いない。あきらめているかもしれないが(笑)。この顔写真は受験手続きの際に提出したものだ。ちゃんと写真屋さんで撮影しようと思ったが(意外とこういうところをボクはこだわる)、結局のところ、コンビニの前にある簡易証明写真機(というのだろうか?)で撮った。意外ときれいに仕上がるものだと思った。 それはさておき、ボクは秋田大学医学部第二内科(現内科学講座循環器・呼吸器内科学分野)での研修医1年目の時に入院したことがある。 その日のことはよく覚えている。前日に同期の研修医と遅い食事(飲み)をし、少し重い頭をひきずりながら、当番の病棟採血後、朝の合同カンファレンスに出席。病棟で点滴キープ後、外来新患のアナムネ聴取、外来患者の血ガスを採り、ホルター心電図を装着し、あっという間に昼過ぎになった。速攻で昼食を済ませて気管支鏡検査の準備、この日は1例でボクもファイバーをさわることができた。夕方の病棟カンファレンスを終えて、上司と病棟の看護師さんと飲みに行った。 暑い1日だったこともありビールがすすんだ。さらに焼肉だったこともありビールがすすんだ。しかし、飲み始めてから1時間半程したあたりからボクは腹痛のためトイレに行く回数が多くなった。カルビばかり食べ過ぎたからかなあ、歳のせいで(30歳過ぎてようやく社会人になった)もう脂っこいものをたくさん食べるのはきついのかなあ、と思ったりした。さらに看護師さんもいるのになんかかっこわるいなあ、と思ったりした。しかしその後そんなことを気にしてられない程の、自分でも感じたことのない痛みが間欠的にやってきて、この腹はさすがにやばいと思った。他のメンバーが2件目のお寿司屋さんに向かうのを腹をさすりながら見送った。 タクシーで超特急で帰宅してからは、腹痛と闘いながらベッドとトイレの往復を朝まで繰り返した。ホントにやばいと思った。たぶんこれが粘血便だと思った。翌日なんとか出勤し病棟業務をこなしてはいたもののトイレ通いと粘血便は続き、お昼前に直接内視鏡室へ駆け込んだ。午前中最後の枠でボクの下部消化管検査が行われた。その場に同期のかわいい女性研修医がいたのだがそんなことは気にしていられなかった。もう、「早く覗いてください」という感じだった。結局、虚血性大腸炎ですぐに医学部附属病院第一内科に入院になった。 入院生活はといえば、絶食が続き、輸液1日4本キープされた(アミノ酸製剤は意外と血管痛があるということが判った)。同期の研修医が末梢キープに入れ替わり立ち替わり部屋に来た(自分はいい血管してると思ったが結構すぐダメになることが判った)。重湯を口にした時は、本当においしかった(食事開始が待ち遠しく、経口摂取のありがたみを感じた)。ベッドに横になっていると医療者の目線が高く、結構見下ろされていることに威圧感を感じた(ベッドサイドではなるべく患者さんと目線を同じくし話をしようと思った)。月並みだが良い体験をした。1週間後に五分粥まであがったところで退院した。ボクはすぐにトンカツ屋さんに向かいヒレカツ定食を完食したことはいうまでもない(まだイケると思った)。 さて、ペンリレーは秋田組合総合病院小児科小松真紀先生へ続きます。出身高校が同じと判りよく飲みに行っています。
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